磨墨塚史跡公園【するすみづかしせきこうえん】
名馬磨墨のお墓がある公園
公園の名前にもある「磨墨」は源頼朝の愛馬です。公園の中にある磨墨塚は梶原景時が頼朝から拝領した名馬磨墨が葬られた塚と伝えられています。名馬磨墨は宇治川の戦いで梶原景季と佐々木尚綱が先陣争いをしたという有名なエピソードの中で梶原景季が乗っていた馬です。頼朝の死後、幕府の内紛によって、梶原景時は鎌倉から追放され、京に逃れる際に、その一族はことごとく悲惨な最後を遂げたといわれています。この時、景高の子豊丸は、羽黒地区にゆかりのある乳母のお隅の方とともに名馬磨墨を伴ってこの地に落ち延びたという伝承が伝わっています。豊丸は、成人後、梶原景親を名乗り、公園に隣接する地に1201年に羽黒城を築城したといわれています。磨墨塚史跡公園では、名馬磨墨をかたどった馬の形のユニークな遊具もあり、現在に磨墨伝承を伝えています。
見どころ
隣接する羽黒城
磨墨塚史跡公園に隣接する羽黒城はその後、本能寺の変で梶原氏が断絶した時点で廃城となりましたが、小牧・長久手の戦いの際には、秀吉方の砦として、山内一豊によって守備された場所とされています。